地霊を体感する建築-福岡東峰村のシビックプライドを育む神楽文化学校-/ITB11

日田街道の脇往還と小石原街道の結節点であった小石原宿は、かつて高木神社や英彦山参りをしていた来訪者の休憩所として明治・大正頃までは10店の宿があり、小石原の住民達の消費活動や交流の場となっていたが、信仰の衰退やマイカー普及、新しく形成された国道211号線沿いに窯元や道の駅が出来たことで、現在は面影すらない程廃れている。また、H23年には小石原小学校、宝珠山小学校、東峰中学校の統廃合により、学校行事で地域と連携して田植えや稲刈り、陶芸教室を行っていた小石原小学校がなくなったことで、更に住民のコミュニティを築くきっかけがなくなってしまった。

住民のコミュニティを築いている祭りや集まり

現在住民同士のコミュニティを築いているのは、くんちや霜月まつり、庚申祭りといった地区や部落ごとの祭りや、青年団や消防団の集まりである。

●小石原高木神社

千灯明や夜神楽、くんちや霜月まつりを行う。境内には庚申祭りの切石の石塔もある。

 

●夜神楽

明治初期に一度途絶えてしまった(戦争や炭坑へ出稼ぎで人が出ていったため)が、昭和60年に青年団の人々が復活させる。当時の舞の資料がなかったため、宮崎の神楽をまねて行っている。現在も復活させた青年団の方々が舞っており、後継者不足を抱えている。練習は祭りが近くなると行い、小石原地区から3.5km離れた鼓地区の喜楽来館で行っている。

 

●庚申祭り

各部落ごとに行う60日に1度の庚申の日に行う無病息災/収穫感謝をする祭り。小石原の17の部落で行われている。

掛軸を各家で回し、切石にお供えをして、当番になった人の家で宴などを行う。住民同士の交流につながっているが、どんどん祭りの簡素化がされている。切石は、部落ごとにあるため道案内の神でもある。 


 

かつては、住民は自然が自分たちの生活や生業に影響をもたらすことを理解し、土地に対する感謝や誇りを持っていたため、人と土地との間に絆があった。現在、祭り自体は残っているものの、人口減少や人口減少や第一産業人口の減少によって信仰心が薄れた事で、祭りが簡易化され、祭り自体の意図が薄れつつあるため、土地との絆を築きづらい。

提案

宿の面影すらない程廃れてしまった通りの空地や空家を利用して、なくなってしまった住民達の交流の場を再構築し、そこで土地との絆を築けるようにする。

神楽や太鼓の練習場、青年団や消防団が集うスペース、小石原保育園の送り迎えの際に気軽に使える休憩所、村のお年寄りが歌ったり、世間話をしたり、東峰学園からスクールバスで帰って来た子どもが勉強したり、遊んだりできる施設をつくる。

宿場と国道沿いの栄えたところを繋ぐ事で、小石原を通過する人や民陶祭で訪れた人に、小石原の祭りや神楽の文化や住民のつながりを感じてもらえる、かつての小石原宿のような来訪者や住民を受け入れるまちをつくる。

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コメント: 1
  • #1

    admin (水曜日, 10 12月 2014 22:08)

    コピペではなく、この図面を描いて、何が分かったのか?を書く。
    それが分析。

    この図版を下敷きにして、説明図を描き、問題点を図示する。