土地を体感する建築-東峰村の土地の文化をつなぐ拠点-/ITB6

□問題意識

地方の若者はまちの良さを理解しないまま、雇用や進学、刺激を求めて都会へと出てしまう。一旦地元を出てしまうと、地域の人との繋がる機会もない。まちの良さを理解する場や、今後まちに必要な人材を育成する場が必要なのではないか。

 

 

□東峰村サーベイ

2005年に小石原村と宝珠山村が合併。

村域の86%が山林原野で、多くは中山間地域となっている。

●小石原

特徴:窯業、農業、神楽、宿場町、門前町

施設:道の駅、村役場小石原庁舎、小石原焼伝統産業会館、松尾城跡、高木神社

小石原の歴史:小石原はかつて宿場町で、街道が交わるところである。また英彦山の門前町でもあった。

陶芸の歴史:現在、小石原には高取焼と小石原焼の流れをくむ約50件の窯元がある。約350年前の1665年に黒田藩御用窯だった高取焼が小石原村鼓に窯を築いたのが始まり。その後、1682年に黒田光之が肥前伊万里から陶工を招いて、中国風の磁器を伝え、この頃すでに小石原にあった「高取焼」この窯が交流することにより皿山を中心に「中野焼」が形成されていった。昭和の時代に「小石原焼」と呼ばれるようになった。

問題:窯業や神楽の後継者不足、道の駅に訪れても窯元の集まる皿山地区まで人が来ない。

普段は静かだが、民陶祭には3日間で約10万人が訪れ、窯元をまわって歩く人々の姿が見られる。

 

小石原古地図

皿山地区は昔から道が変わっていない。

 

民陶祭の皿山地区の様子〜唐臼(土を細かくするために使われた。現在は実用されていない)

現在も道の駅には外部からの人が立ち寄る機会があるが、窯元の集まる皿山地区には普段は人がほとんど訪れない。しかし、皿山地区は森林浴もでき、川や唐臼の音があり、窯元の作業風景も見れて窯業の暮らしをより近く感じる事ができる。

小石原焼伝統産業会館では2週間に1度陶芸教室が行われている。当初は有田焼のように研究所を置く予定だったが、まだ実現されていない。

 

 

●宝珠山

特徴:棚田、農業、岩屋まつり、岩屋湧水、門前町

施設:岩屋神社、岩屋公園、岩屋キャンプ場、橋梁

岩屋神社の歴史:岩屋神社は中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(彦山・英彦山)」を開いた翌年の532年(継体天皇26年)に開かれ、空から降ってきたと伝えられる「宝珠石(ほうしゅせき)」をご神体とし、神仏が降臨する神聖な場所として修験者の重要な修行場だった。

問題①:竹地区の棚田は日本棚田百選に選ばれるほどである。道も狭く住民の車くらいしか通らないため、棚田の稲穂の揺れる音や風の音、川のせせらぎなどの自然の音や、稲の香など視覚以外でも自然を感じることができるにも関わらず、地元の人にとってはそれが当たり前のことでしかない。

 

問題②:岩屋神社へ行く際はほとんど車で近くまで行ってしまうため、せっかく訪れても棚田や神社への木々が生い茂った通りを感じないままになっている。

 

棚田は高周波の音の多く、人が快適に感じることができるそうです。

参考:http://www.ip-agri-prefshizu.com/suidenpro/pdf/topic08-03.pdf

↓地図の黄色の吹き出しの箇所で音圧を測定しました。

棚田近くの遊歩道?(東峰村保健福祉館〜唐臼)↑航空写真のピンクの線

(唐臼〜行き止まり)

棚田の展望台?から

棚田の近くには遊歩道のような道がつくられていたが、ほとんど整備されておらず、唐臼も壊れており、道も途中で通れなくなっていた。近くに川も流れるため、棚田の高周波の音が強く聞こえるにもかかわらず、誰も通らない場所になっていた。

 

岩屋神社

真ん中の階段を登ると国の重要文化財となっている岩屋神社の本殿がある。神聖ではりつめた雰囲気。

岩屋祭りの様子 http://toho.main.jp/iwaya-maturi.html

 

 

●宝珠山と福井の堺

特徴:東峰村の中心地、炭坑の跡、神楽の文化

施設:東峰学園(村唯一の小中一貫校)、村役場宝珠山庁舎、山村文化交流の郷 いぶき館、保健福祉センター いずみ館、東峰自然公園、ICT利活用促進施設 東峰メディアカフェ、道の駅さくら

炭坑の歴史:旧宝珠村は明治末期から昭和38年まで、石炭の街として栄えた。明治37年頃から土師炭鉱と長者原炭鉱が小規模な採炭を行なっていたが、明治45年に飯塚の石炭王・伊藤伝右衛門が買収し、宝珠山炭鉱として本格的に開発、坑口を増やした。最盛期には村の人口は現在の約3倍の8000人近くになった。現在、東峰自然公園として整備された一角に一坑・三坑、宝珠山駅の近くに二坑の坑口跡が残る。

問題:公共施設はそろっていて、電車やバスも通るにも関わらず、村の人が気軽に来る事ができるようなところがないため、用事がないといかない。

 

東峰学園の子どもの声が聞こえるいぶき館

いぶき館は宝珠山炭鉱の社交場「宝珠山クラブ」を2004年(平成16年)旧宝珠山村が、山村文化交流の郷「いぶき館」の交流棟として復元したもの。大正、昭和と宝珠山炭鉱時代の歴史を展示公開している。

東峰自然公園やまちなかに炭坑の面影が残る。

 

 

●福井

特徴:御星様祭り、炭坑の跡

施設:福井神社、村民グラウンド

御星様まつり:中世彦山神領内各村での祭りの古い型を残しており、筑前朝倉の宮座行事として国無形民族文化材記録保存の選択、験無形民俗文化財の指定を受けた。10月最終日曜日に、その年に穫れた新藁で御星様と呼ばれる藁神輿をつくり、祭元で神事の後、神幸行列が神社へと向かう。神社では子ども相撲の奉納、祭元交代の宮座儀式等が行われる。

問題:祭りの時くらいにしか訪れない場所であり、祭り自体も認知度が低い。

秋祭りが行われる村民グラウンドは宝珠山駅の隣りにあるにもかかわらず、遠回りしないと行き来できない。

宝珠山駅の向かいに御星様祭りの行われる福井神社があるにもかかわらず、人が訪れる事はほとんどない。

 

駅から見た村民グラウンド側

□プログラム

各地区の土地の魅力を感じるための建築×村に必要な人材を育成する学校

+分棟図書館やカフェ等

 

東峰村には各地区にそれぞれの土地の魅力(特徴)や歴史、問題がある。これらの地区に人が行くための目的をつくり、そこで過ごす際にその土地の特徴を感じるようにする。外部から人が来たり、村人に村の中を行き来し、地区間につながりをつくり、土地の魅力を感じることができる。

 

 

□レファレンス

●豊島美術館と豊島美術館のカフェ

最初は体験した事ないスケールに驚いたが、中にいると外部の風や太陽の光など自然の音や光を感じた。

 

 

 

□提案

シビックプライドを生むには、自分がその土地でその土地の特有のものを感じたり、体験することで生まれると考えた。

 

●小石原

敷地:皿山の石畳になっているところの端と端を敷地にして、人が移動する事で皿山を歩くようにする

普段人が歩かない皿山に窯業学校や農業学校分校をつくり、見えづらくなっている皿山の窯元の半陶半農暮らしを体験したり、音を体感できるようにする。

●宝珠山

敷地:遊歩道の周りの空き地や保健福祉館

使われていない保健福祉館や空き地を利用して、農業学校や棚田の音や稲のにおいを感じるための部屋を点在し、人が歩きたくなる遊歩道をつくる。

行き止まりになっている部分は道に繋がるようにする。

●宝珠山と福井の堺

敷地:役場の駐輪場と東峰自然公園

子どもたちの声が聞こえてるところなので、村の住民が気軽に来れるような図書館やカフェをまちのなかに隠れている炭坑の跡を縫うようにおくことで、普段から歩きながらまちの歴史や活気を感じる場にする。

●福井

敷地:宝珠山駅と横の公園と広場の部分

村の重要な文化や炭坑の跡はあるものの、祭のときにしか訪れないような場所を、周辺の田んぼや電車の音を感じることのできる農業学校やカフェ+駅の機能を置くことで、人が普段から来るようになり、農業を学ぶ中で土地の魅力に気づくことができるようにする。

□最終イメージ

各地区の土地にある良さを感じる場をつくることで、住民が過ごしたり、農業や窯業を学ぶ中で今まで気づかなかったり当たり前だったものへ意識が行き、田舎にしかない良さに気づく事ができる。

また、人口が減少し、各地区が縮小するなかで、まちを移動し、人が歩く風景をつくることで地域のつながりをつくり、まちの活気を取り戻す事ができ、今まで気づかなかったまちの魅力に気づく事でシビッププライドを生むきっかけとなる。

 

 

人が行き来する村になる事で村人にほとんど使われていない交通機関を利用してもらえる。

日田彦山線 宝珠山駅〜大行司駅 村の風景が一望できる

日田彦山線 大行司駅〜筑前岩屋駅 村の風景が一望できる