駅空間が生み出す人とまちのつながり/YMD3

□問題意識

多くの駅は、たくさんの人が集まる場でありながら、ただ通過するだけになっている。また、駅は未だ土木の領域として考えられているため、利用する側も運営する側も、人が過ごす空間としての認識がないことに問題を感じた。

 

駅やホームは、通過するだけなので自分の場所であるという認識がない。そのため駅は傷がつかないような頑丈な物、掃除がしやすい素材使うなど、管理・運営する側の都合でつくられてしまっている。

 

●ローカル線の現状

ローカル線は、旅客・貨物が減少し、廃線となってしまう事例が近年増えている。旅客・貨物の減少の要因としては、1960年代まではバスやトラックの発達が主要因であったが、それ以降は自家用車の普及(モータリゼーション)が主要因となっている。また、少子高齢化や地方の過疎化も大きく影響している。

 

□敷地:千葉県流山市 流鉄流山線

●千葉県流山市 

都心から一番近い森の街と言われている。人口約17万人で、千葉県内では9位である。市内には、JR武蔵野線・JR常磐線・東武野田線・流鉄流山線・つくばエクスプレス(TX)の5つの路線が通っている。H17年のTX開通後すると都心からの所要時間が20~25分に短縮され、急激に人口は増え、10歳未満の子供と30代~40代の子育て世代の割合が多くなった。

 

●流鉄流山線の駅

千葉県松戸市の馬橋駅と、流山市の流山駅を結ぶローカル線。自動改札なはく、駅員が切符を回収する。ICカードは利用できない。電車の本数は、平日は一時間に4~5本とそこまで少なくない。

 

 

街の中心としての新拠点は、「流山おおたかの森駅」周辺に移り、将来的には役場や図書館も新拠点へ移るだろう。新たに移り住んで来た子育て世代は新拠点に住んでいる。旧市街はTXと交わる駅がないため不便であり、少子高齢化が進み、これから先の人口減少に繋がると考えられる。

一日フリー切符が500円で販売されていて、沿線住民の方が主に使っている。

何度も廃線の話が上がって入るが、通勤者、学生や高齢者等の交通弱者によってなんとか存続している状態である。

 

流山線の一日乗車人員をグラフにして比べてみると、H17年のTX開通後、流山線の一日乗車人員は大幅に減少していることが分かった。流山駅と鰭ケ崎駅は近くにTXの駅ができたため、下がったと考えられる。

 

また、流山線の利用客の減少の理由として、市営バスと、平成19年7月2日からスタートした、高齢者の移動支援事業であると考えられる。企業等(病院)が業務サービスの一環として運行している送迎バスを活用し、高齢者がバスの空席に無料で乗車できるものである。

 

交通弱者である高齢者の足が、鉄道からバスに変わることで、利用客は減少する。

流山線の全駅で自動改札機はなく、ICカードも利用できない。電車が来ると駅員がホームに安全確認のため出て来て、停まると改札へ移動し、手で切符を回収する。

ホームに入るときは駅員さんもいないため、車内改札の電車のようにホームまで街と連続しているように感じた(特に一日フリー切符のとき)。

利用客が少ないため、駅員さんと利用客の顔見知りも多いという。毎日顔を合わせるため、お互いに要望等も伝えやすいと言っていた。

●流山線開通の歴史

流山は江戸川水運が盛んな時代には米を中心とする物資の集散地として繁栄した土地。常磐線の通過するルートからは外れているが、流山電鉄というローカル私鉄が通じたのはそこに昔から栄えた町があったからである。野田の醤油ほど有名ではないが、流山は味醂が特産で現在もキッコーマンの工場が流山駅の側にあり、工場の引き込み線の跡の道がある。人と味醂を運ぶために、流山線は1916年に軽便鉄道(一般的な鉄道よりも規格が安く安価に建設された鉄道)として開業し、住民の要望で住民がお金を出し合って通した。社員も住民が多く、「町民鉄道」と呼ばれていた。

●旧流山街道

流山駅を出て西、現在の流山街道の一本西側の道が旧流山街道である(上図の紫の道)。二車線道路ではあるが道幅は狭く、歩道は確保されていない。水運が盛んだった頃の古い町並み(河岸集落)が残り、見世蔵や出桁造りの町家や見られる景観となっている。

□中央ラインモールプロジェクト(レファレンス)

中央線の高架化を契機に、駅と駅間の高架化を統一したコンセプトで一体的に開発するもの。高架下空間は、飲食店が詰め込まれていたり、自転車置き場や何もない暗い空間になっていることが多い。しかし、駅からはなれた高架下まで含めて開発することで、駅と駅を繋ぐものとなる。また、街を人が歩けるようになる。

□プログラム

ギャラリー、カフェ、図書館、アトリエ、習い事教室

(旧市街の歴史や魅力を伝えるとともに、住民たちの居場所となるもの)

駅員さんと住民のつながりも強め、駅を自分たちの場所であるという認識を持たせられる空間

□最終イメージ

多くの廃線の危機にあったローカル線の再生の方法としては、沿線住民が減少したため、観光列車化し、利用客を増やすということが上げられる。

 

しかし、流山線は沿線住民が極端に減少している訳ではなく、いるにも関わらず、他の路線に利用客を取られてしまった。観光列車化するのではなく、駅を変えることで、再び沿線住民に利用したいと思われる路線へと再生する。

 

流山線は、経営状況が厳しい現状であり、自動改札機を設置することはできない。切符による収入は欠かせない。またLRTにすることも、現在のホームを低くするなどの工事費が高いため不可能である。

そこで、電車はそのままで駅のみを変える。TXの方が便利であるため、通勤者を増やすことは難しい。近隣に多い、小・中・高校生や、高齢者を対象にしたプログラムとする。

 

駅が人が過ごす空間になり、路線全体が使われるようになることで、旧市街の中心として地域住民の場が生まれ、交通弱者の足も守られ、流山線も存続できる。

 

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コメント: 2
  • #1

    admin (金曜日, 19 9月 2014 21:21)

    よく調べられているし、ストーリーも出来ている。YMDがこの敷地に思い入れがあるなら、このまま進めていくので良いと思う。何も言わずにこれだけ出来るのに、本当に勿体ない。

    流山線はこの資料だけ見ると、鉄道としては存在意義がないかもしれない。でも世田谷線のように、それでも存続する場合もある。だから、鉄道側の論理だけでなく、全く違う視点で駅を考えなければ、修士設計の提案にはならない。
    そのためには、鉄道が交通とは違う機能を持てば良い。そうすれば、交通+何かの2つの機能をもつ新しい都市施設が生まれる。バスや車では実現しないもの。
    そこには何かジャンプが必要。それを中間までにサーベイする。

    流山をどうまちづくりしていくのか?という大きな視点と流山線が密接に結びついて、新しい交通網と共存出来るような考え方が欲しい。人口は減ってないのだから、考えは進めやすいはず。

    なぜ流山なのか?と中間発表で必ず聞かれる。それにどう答えるか?
    ちょっと特別な可能性のある場所だと言えると良い。

  • #2

    admin (月曜日, 22 9月 2014 09:53)

    タイトルを考え直すこと。
    問題意識か提案が示されているべき。

    「駅空間」も「人とまちのつながり」も抽象的で伝わってこない。