人と人、人とまちをつなぐ宿場/ITB3

調べて来たことの画を作成、第3セクターについての勉強、事例調べを行い、問題意識や方向性を考え直しました。

 

□調べて来たことの画作成

●キーパーソンひとりの力が大きい

●生産現場と役場をつなぐキンニャモニャセンター

島の人々が活躍する元気の発信の場としてキンニャモニャセンターを作るにあたり、視察や夕市を行い、島や港に必要な機能やデザインを考えて行った。

JAやJFに頼っていると第1次産業の手取りが少なくなり衰退してしまうため、生産から販売まで島の人で行えるようにした。第3セクターを作り、凍結技術(CAS)を導入することで島の外へ新鮮な魚介や肉を届ける事が可能になったと共に、雇用を生み出した。

 

●住民にとって身近な図書館

・島まるごと図書館構想

“図書館のない島”というハンデを逆手に取り、中央図書館と島の学校(保育園~高校)を中心に地区公民館や港、診療所などの人が集まる場所を「図書分館」と位置づける。12カ所の図書(分)館をネットワーク化することで、島全体を一つの「図書館」とする構想。

□若者の交流の場となっているあまマーレ

・あまマーレとは

50年前まで海士町にあった若者の寄り合い所のような場として使われていた海士人宿の現代版として作られた。旧けいしょう保育所の所舎を再利用している。けいしょう保育所に待機児童が出たこともあり、週1程度の開館日を今年の8月からは開館日を増やしてオープンし、あまマーレを人が集まれる場にしている。

 

・海士町集落支援員の活動

地区活動の支援

集落支援員は支援してほしいとの声があった地区を対象に地区活動の支援している。代表的な活動として、内容は地区によって様々あるが、各種団体や人と人をつなぎ、地区の住民が一体となって活動できる場作りをする。

 

集プロジェクト

集地区活動以外の町全体に関する活動のこと。健康福祉課と協力した「買い物支援」や、モノを無駄にしない循環をつくる「古道具やさん」の運営などがある。

 

□第3セクターについての勉強

海士町は、第3セクターをつくり雇用を作ったり、特産物をブランド化することに成功していることが分かったので、改めて第3セクターについて調べました。

(参考文献)第三セクター経営の理論と実務/著者:宮木康夫/発行年:平成7年11月10日)

 

第3セクターとは・・・国や地方公共団体と民間企業との共同出資で設立される事業体。主として国や地方公共団体が行うべき事業(公共セクター)に、民間部門(民間セクター)の資金や経営力などを導入して官民共同で行う所からいう。(広辞苑)

 

効果的に活用されれば、公共のための取組がより住民目線でできる有効な手法。

しかし、一般的な捉え方は「第3セクターは公共と民間の中間の存在なので、一面は公共福祉への貢献という公共機関の側面を持ちつつ、一面には利潤獲得という民間企業の側面を持つものである」であることから、「民間の参加した株式会社なので利益を追うため公共性が犠牲になる。公共性に固執するため企業製が失われ業績が悪くなる。」という批判的な見解があるそうです。

そのため、第3セクターの企業目的は「利益獲得」ではなく「公共貢献」であり、事業の公共性を維持しつつ、その中で可能な限り経済性を発揮して実質収支を改良することである。あくまで「公共的事業への民間活力の活用」であり、「民間的事業への効力の活用」ではない。と捉えることが正しいという事が分かりました。

 

●問題点

・公共性を重視し過ぎて企業性を喪失し、経済性が無視され不健全な経営状態に陥る。

・企業性を重視しすぎて公共性を喪失し、民間企業に利用されるだけになる。

・経営の専門知識が乏しく、低収益でも良いという認識である。

・第3セクター設立が目的となっており、運営する意識が低い。

・企業としての統一性が不十分で無責任な体制。

 

これを踏まえて、成功させるためには、利益を得るための知識や経営の意識を持って運営を行う自主性と、目的達成のために企業活動が集中している状態にするための統一性が大事だと思いました。また成功させるためには、まず事業を行う側がまちに対して誇りや愛着を持っていないと公共貢献につながる活動はできないのではないかと感じました。

 

 

□第3セクター管理運営の施設の事例

第3セクターが管理運営をしていて、雇用を生む事に成功していたり、まちの人やそとから来る人に利用されている施設を探してみました。

(参考)《産業振興》岐阜県郡上市「稼げる第3セクター」http://www.soumu.go.jp/main_content/000063260.pdf

郡上市の取り組み体制
郡上市の取り組み体制

自分のまちに対する誇りが生まれ、人々の憩いの場ともなっている建築。

●古今伝授の里フィールドミュージアム

設計:瀧光夫

構造:須賀好富(近畿大学)+天野悦治

設備:設備設計

施行:ヤマシタ工務店

敷地面積:12,790㎡

建築面積:1,169.03㎡(3棟)

延床面積:1,140.67㎡(3棟)

構造:鉄骨造 一部木造

新建築1994年1月号掲載

1988 年に策定された大和町第3 次総合開発計画の中で、「古今伝授の里づくり」 がシンボル事業として位置づけられた。「古今伝授」 を核として文化振興を図ることと、それにより経 済活動の活性化を図る構図を目指した。固有の地域文化を発信し訪れる人にサ ービスを提供することで経済の活性化を図る拠 点として、発掘された「東氏館跡庭園」の周辺に 展示館、研修館、図書館、レストランを兼ねたサ ロンの機能を持つ施設を整備することになった。

分棟にして、周辺の環境を活かすことで、地元の人が訪れた、自分の里がこんなに美しかったかと感嘆し、里の景観を大切にしようという一種の意識革命が起こっているそうです。

交流館「ももちどり」はレストランとして使われている。入口脇には囲炉裏端のサロン風になっている。レストランでは、地元産の野菜をふんだんに使った料理や、期間限定でジビエ料理(猟で獲った野生 動物を使った料理)も出している。

●道の駅 古今伝授の里やまと

企画から予算、設計デザイン、現場監理、職員採用指導、店づくり、営業管 理、経営指導と一貫して水野正文が携わっている施設。

「やまと温泉やすらぎ館」と、農産物の加工・ 販売所やレストラン、売店等からなる「くつろぎ 広場」からなっている。当初、「やまと温泉やすらぎ館」の隣に「くつ ろぎ広場」を整備する際には、「交流」をキーワ ードに温室による花の展示館が計画されていた。 しかし、それだけでは収益を確保できないと考えた水野さんは、「農業の活性化」をテーマに、農産 加工・販売所を整備し、1988年頃から始めていた朝市を敷地内のメインスペースに移転させた。 そして、トイレや情報提供施設等を整備して道の駅として登録することで、ドライバーの立ち寄り先となるようにして、まちの人だけでなく外から来る人の場をつくった。現在では、コンサート、ウェディング、体験教室等が開催 されており、朝採りの野菜や果物、精米したての 米等を生産者が対面販売する朝市も開催されて いる。市外からの観光客のほか、市民が食事や休憩に立ち寄る姿も多く見られるそうです。

 

□問題意識:地方の田舎ではIターンやUターンしてくる人に対する態勢が整っていない

地方の人口は減少傾向にある。しかし、交通機関の整備による利便性の向上や情報通信の発達により、地方の田舎で暮らす事が十分可能な世の中になって来ている。IターンやUターンで田舎暮らしを始める人も増えて来ている一方で、その人々に対する態勢が不十分で都会に戻ってしまうケースも少なくはない。いつでも対応してくれるような定住・移住の窓口や、雇用の確保、憩いの場をつくり態勢を整えることで、自分のまちで仕事や活動ができるようにして、まちに対して愛着や誇りを持てるようにする必要がある。

 

 

□プログラム:道の駅(のような機能)、宿場の施設+第3セクターの企業

●道の駅とは・・・

幹線道路に付属して24時間利用することのできる駐車場、トイレ、電話などを備えた道路利用者用の施設。道路管理者が整備する簡易パーキングなど休憩施設と、市町村など自治体が整備する地域の歴史、文化などの地域情報を提供する地域進行施設を一体的に整備して、道路利用者へのサービスを行うとともに、地域の核となる賑わいの場を形成することを目的とする。(大車林)

 

●駅とは・・・

律令制で、中ポウト地方との連絡のために、街道筋の30里ごとに置かれた設備。中継ぎの場。宿場とも言われる。

 

●宿場の諸施設

・問屋場:人馬の継立、助郷賦課等の業務を行った。

・本陣:武士や公家用が宿泊・休憩をした。商業的な宿泊施設ではなく、その地の有力旧家の邸宅が本陣として指定される事が多かった。

・脇本陣:本陣に次ぐ武士や公家の宿泊施設だが、空いている時は一般旅行者も泊めた。

・旅籠:一般旅行者用の食事付き宿泊施設。

・木賃宿:一般旅行者用の自炊宿泊施設。

・茶屋

・商店

・高札場:幕府からの禁制や通達事項などを標した高札を掲げた場所。

 

かつて宿場は外から訪れた人々への休憩、宿泊、商いだけではなく、宿場のまわりの農村の人々に対しても農具を買ったり、作った作物をお金に買えるような生活の場であった。道の駅も宿場と同じように休憩や情報発信の場であるが、住民にとって生活の場となっていないのが現状である。道の駅や宿場のような、そとから来た人が使う場が住民にとっても生活の場となることで、双方に必要な情報があつまる場、まちの活動が行われたり、見えたりする場をつくる。

 

 

□敷地:福岡県小郡市  甘木鉄道小郡駅〜西鉄甘木線甘木駅

かつては郡役場が置かれたり、宿場町として栄えた小郡市は、現在では近隣の地方都市へと通勤通学する人々のベッドタウンとなっている。小郡市の購買力指数 0.472(H22年度国勢調査)で県内市区でほぼ最低の水準。市民の半数以上が他の市区町村へ流出している。小郡市の現在の中心地である小郡駅周辺の商業集積は個人経営での地域密着型のもの。

 

●鉄道乗降者数

西鉄小郡駅 1日平均乗降人員 11,640人(H24年度)

甘木鉄道甘木線 1日平均乗車人員 1,011人(H20年度)

 

●昼間人口

昼間人口 48,346人 昼夜間人口比 82.6%(平成22年国勢調査)

 

●地名の由来

「筑紫小郡」の名は、持統天皇3年6月(689年)、新羅の使者金道那を「餐応した」客館として日本書紀にみられる。小郡市は、往古の筑紫平野の北に位置し、大宰府に近く博多へ通じる交通の要衝を占め、また小郡市中心部(向築地)に当時の官衙跡が発掘され「小郡官衙遺跡」として国の指定を受けている。その軍事的・地理的特殊性から往時の大宰府客館所在地、また地方官庁所在地として小郡の地名が残り、いまに伝えられている。

7世紀末に、現在の中心部となっている小郡駅の北側に郡役所が置かれた。江戸時代には、小郡市の東側に薩摩街道の松崎宿が栄えた。

●まちの重心

7世紀末に、現在の中心部となっている小郡駅の北側に郡役所が置かれ、江戸時代には、小郡市の東側に薩摩街道の松崎宿が栄えました。市には図書館や陸上競技場、運動公園の施設は整っているものの、なにか目的がないといかないような場ででしかなく、まちには人々が気軽に集まっておしゃべりするような身近な公共の場がない。

 

●近隣の市町村からみた際の道の駅のような機能の必要性

小郡市の西に隣接する佐賀県鳥栖市は今後開発が進む市です。博多駅と長崎駅を結ぶ九州新幹線長崎ルートが2022年の開業予定。新鳥栖駅は鹿児島ルートとの分岐点となり、周辺の開発が進んでいます。また、2004年誕生した九州最大の鳥栖プレミアム・アウトレットがあり、2011年7月には第3期増設を行い、周辺の地区町村からの人が訪れている市となっています。

下は小郡市周辺の道の駅を示した地図で、鳥栖市〜朝倉市、筑前町〜久留米市間に道の駅のような休憩する場がないのが現状です。

 

小郡市周辺の道の駅

□最終イメージ

かつての宿場のように、外から訪れる人と住民の双方にとっての場をつくる。宿場の外の人を受け入れる在り方が、IターンやUターンをして新しく住む人の受け皿ともなる。また住民の生活の場・憩いの場・活動の場にもなることで、新しく住む人にとって、始めは情報を提供してもらう場が生活の場となり、新たに訪れる人にまちの活動や生活を見せる側になる。

そのサイクルにより、まちと人、人と人が繋がる場となり、自分のまちに愛着や誇りを持って暮らせるようになる。

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コメント: 1
  • #1

    Admin (土曜日, 20 9月 2014 11:05)

    一見まじめにやっているが、前半は感想文、後半はコピペでしかない。問題意識もなく、ストーリーもない。敷地の選定理由もない。至急やり直し。明日まで。

    ダラダラ文章を書かないで、簡潔に問題意識とその解決へのストーリーを描く。コピペしないで、要約をする。ダイアグラムを描いて、論理を確認しながら、進める。